先日、”おとうさん”のところにお邪魔した時の出来事。
(”おとうさん”は↓に登場)
写真右上にスズメバチがいます。
左の窓は空いてるんですが、なかなか逃げられません。
家の中にスズメバチ・・・。ぎょっとしますよね。
ここは、森の古民家。普通の出来事ですかっ、”おとうさん”
「ほっといたらいいから。一週間で死ぬから」
ここで、結構沢山の疑問が、
・刺されない?
・一週間同居・・・
・逃がしたらだめなのか・・
どうも、なにもしなければ、刺されないとのこと。こちらが攻撃的な態度を表さない限り大丈夫、らしい。野生の鳥が肩に止まって動かないお父さんと違って、そこは小心者の我らのことを過大評価されているような・・・。熊に遭って、死んだふりができないみたいな・・・。
体に止まられたりしても、平静でいられる自信がなかったのですが、ここはハチから目を離さないように注意深く観察。
小学生低学年のころ、四葉のクローバーを探しているときに、花の蜜を集めに来ていたミツバチに、二回に刺されました。
とにかく痛いんですが、それよりも、死ぬんじゃないかという怖さで泣けてきました。昨日のように覚えています。ミツバチは刺すと死ぬそうです。死んでも守るなにかを私は侵害したんでしょう。ハチの世界は遠く、測れません。
相手は、ミツバチではなく、スズメバチ・・・。スズメバチも刺すと死ぬのかな。
スズメバチは、スズメほどでかくないですが、ハチの中では最大クラスの大きさで、かつ、色がけばい・・。阪神タイガースの生まれながらのファンなんだ、きっと。
まあ、私も田舎者なので、そこそこ見慣れてはいるのですが、家に入ってこないってスズメバチ。
「ガラスがあることがわからんので、なんで飛べないかわからず、ノイローゼになって死んでしまう」
ハチのことですよね、”おとうさん”。ノイローゼ・・。(私のことじゃないですよね・・)
深い話するわ、”おとうさん”。自分の境遇に重ねて、ハチを見てしまいました。
あかん、これは逃がして本来の大空へ戻してあげないと。(自分自身も開放しないと・・)
「弱肉強食の頂点にいてるハチやから、逃がさんでいいわ」
が”おとうさん”の理屈。頂点以下のものが救われるというやさしいお気持ちと解釈しつつ、ここは、議論の余地がありそうでありますが、今後に撮っておいて、見ておられず、そっと、窓を開けて逃がしてやることに。
ほら、写真の通り、フルスロットルで羽ばたこうとしているのに。飛んでるつもりよね、大空を。ガラスって、知らんよね。
半分窓を開け、出られるようにしました。
頑張るところ違うよ。(自分のこと?)
横見てごらん、ガラスないよ。(ガラスって、なんやったにやろう)
外に出れるよ、早く気づいて無駄な羽ばたきいらないよ。(冷静に、俯瞰しながら客観視は大事・・)
”おとうさん”は逃がさなくてもいいのに、という顔をしておられましたが、私の気が済まない。早く大空へ。
ふとした拍子に、空いた窓から”ブンッ”と、無事に大空へ戻っていきました。
話は変わりますが、志賀直哉の「城の崎にて」にも屋根の上で死んでいる蜂の姿が、その周りを動き回る生きた蜂と対比して表現されています。生と死のコントラスト。
自由な大空と、透明で見えないガラスの壁のコントラスト。
ガラス、なんだったんだろう。もう少し、引いた目で、客観的に自分が見れていたら。今回のスズメバチを逃がしたように。
そうすれば、長期の休職という状況にはなってなかったよね。
だましだまし、ガラスがあることがわからず、もがき、あがき、飛んでたらもっと苦しい状態に陥ってたんだろうな。羽ばたくことをある日突然、辞めました。
今は、羽を休め、再び羽ばたけるよう静養に努める日々。
羽ばたく必要あるのかな。
ガラスって、透明で見えないからガラスなんだよね。
どんな道行くとしても、なにかのガラスには当たるんでしょう、きっと。ガラスは割らずに、別の道を見つけ回避して、頑張れることろで頑張るのがいいよね。
そう、そんときに、羽ばたくのを一度辞めて、深呼吸。まわりを俯瞰しよう、ハチが大空から大地を見るように。
その時は、恩返ししてくれるかな、今日のスズメバチさん?
いつも、新しい気付きを与えてくれる”おとうさん”。これからも、どうか健康で沢山の時間を共有できることを祈りつつ、スズメバチのお話を終わらせていただきたいと思います。
おしまい。
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