子供が小さいときに利用してきた自転車が、長い間、成長に伴い活動の軸足が電車に置き換わっていったことで、使われなくなっていた。
休職に伴い、その利用していない自転車を私が利用することにした。なにせ、おおよそ10年程度、ほったらかしだったため、錆て、汚れもひどかった。
この自転車を、近所のサイクル屋さんで購入し、車の後ろにシートを倒して、少し天板に傷をいれながら運んだことをよく覚えている。その車はもうないが。車よりも自転車のほうが寿命が一般的に長いのかもしれません。
さあ、再び活躍の場が与えられ、躍動できる場を得られた自転車は、少し誇らしく春の陽光に鈍く光っていた。表面の年月を感じさせる鎧を剥ぎ落し、内から湧き上がる稼働できることの喜びを感じながら、鎧はがしにとりかかった。自転車に感じていた感情は、実は、自分自身の本当にやりたいこと、に置き換えられるかもしれませんが。
私は、汚れを丹念に落とし、錆びた箇所を写真の「茂木和哉 サビ落とし」を用いて、取り除く作業に取り組んだ。格闘すること約3時間、徐々に自転車の本来の姿が蘇っていく様子を見ることができ、ほぼほぼ鎧を剥ぎとり、元通りの姿に復活した。
写真の通り、すっかり錆が落とされた。このサビ落とし、恐るべき性能を発揮してくれた。と喜んでたのが、次の日に別の意味で、違うところで性能を発揮していたのですが。
実は、液剤で指紋が溶け、1か月スマホ等の指紋認証ができなくなりました。かなり、不便な生活を余儀なくされました・・・。
くれぐれも、皮膚につけないよう注意書きがあったのをあとで、確認した次第です。
サビ落としの性能は抜群ですが、手袋して皮膚に触れないよう注意しましょう。
さて、心の下り物が落ちた気分になりました。早く、乗りたいと、家内と二人で自転車で買い物に行くことにしました。
と、ところが、ガーン!!
残念なことに、ギアが壊れてしまい、ペダルが回せない・・・。そのまま、近所の自転車屋へ直行すると、部品交換でいくらかかるかわからないといわれた。来た道をすごすごと押して帰ることに。
せっかく再生したのにね。きれいに再生されたのに、最初の一漕ぎで壊れてしまった自転車。やるせない。
なんとかこの自転車を役に立てるものにできないのか。私は諦めなかった。
近所の金属スクラップのリサイクル屋さんに問い合わせ、サドルとタイヤをとってくれたら、金属として再生してくれると。
ピカピカに磨いた自転車を壊すことに抵抗があったものの、次の道として、再び金属として再生できるのであれば、自転車は許してくれるのではないかと。サドルと、タイヤを外す作業にとりかかった。
サドルは盗難防止のワイヤーに本体と接合されていたため、このワイヤーをペンチで切断するのに手間取ったが、外すことができた。
問題はタイヤだった。
ゴムなので簡単に切れると思い、ざくざくと切っていった。輪っかのどこかが切断できれば、全部撤去できるはず。
ところが、自転車のタイヤにはなかなか切れないワイヤーがループしていた・・。これ切れない!盗難防止のワイヤーのほうが柔らかい・・。また、タイヤにハサミを入れると、緑の液体がドロリと出てきた。自転車の血?、なにこれ・・。(後でわかるのですが、パンク防止で注入されていた液体でした)
タイヤのワイヤーを切断することは諦め、ホイール自体を自転車から外し、タイヤを抜くことにしました。前輪は簡単に抜けました。残りは後輪。
六角レンチで丁度のサイズがなくおそらく、17というサイズ。これホームセンターでもなくて、結局、少し大きなスパナに金属をかまして何とか、回せました。これで、リサイクルできることに。
1kg30円、16kgなので480円で買い取ってくれました。。この行為は、私にとっては何か新たな一歩でした。私の家の自転車は、次の金属に埋まり替わります。また、その自転車置き場は空になりました。何かを捨てれば、新たに何かが入れる余地が生まれる。
今の状況も同様なのかな。どう進むか、ヒントを得たような気持になった。なんともいえない、すがすがしい気持ちになったことは忘れないだろう。
自転車を手放す決断は、しばし葛藤を抱えたが、その後の喜びはそれ以上のものだった。私の手で綺麗に再生した自転車が、新たな金属に生まれ変わり、再び活躍することは、詰まっていた何かの栓が外れたような爽快感があった。
この経験から、私は再生の大切さを感じた。使われなくなったものでも、手を加えることで新たな命を吹き込むことができる。
自転車の例は、私たちの生活においてよくあるものかもしれない。使わなくなった家具、古くなった洋服、壊れた電化製品など、私たちは日々さまざまなものを手放している。しかし、それらは単なるゴミとして捨てるのではなく、再利用やリサイクルの方法を模索することが大切だ。
今回、メルカリ、リサイクルショップを活用し、不用品を違う家庭で活用され、新たに活躍できる。なんと有益で、すがすがしいことだろう。
使い捨ての文化が浸透している現代社会では、物を大切にする意識が薄れがちだ。しかし、今回の一連の経験は、今後の物を捨てる時の大きな分岐点になるように感じた。
使わなくなった自転車のリボーンは、私にとって貴重な経験となった。それはただの物の処分ではなく、新たな可能性を探る冒険だった。自転車が再び生まれ変わり、新たな役割を果たすことで、過去のしがらみから解き放たれたのか、私の心には充足感と喜びが広がった。
持続可能な社会の実現に向けて、物質のみならず、心の持ちようも非常に大きなウエイトを占めることを学んだ。私はblogやSNSを通じてそのことを、伝えていきたい。
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